入口 > H21年度~TOP
信長公居館発掘調査
発掘調査地図 C地区 B地区 B地区 C地区

各地区をクリックしていただくと、発掘調査の様子や成果をご覧いただけます。

  発掘調査の経緯

織田信長公居館居館の解明のため、これまでに3回(昭和59年~)の調査を行っています。

  • 1次調査 昭和59年(1984年) ロープウェーの南側  (現在整備されています)
    巨石を並べた大規模な虎口や通路が見つかっています。 居館本体はわからなかったが、壮大な石の城造りを試みた信長の先進性をうかがうことができた。
  • 2次調査 昭和63年(1988年) 加藤栄三・東一記念美術館の位置(建設のため調査)
    戦国時代のカマドや鎌倉、室町時代の地鎮遺構などが姿を現し、予想もしなかった6~7世紀の古墳が見つかっています。カマドは現在、美術館内に移築復元されて展示公開されています。
  • 3次調査 平成9年(1997年) 庭園「信長の庭」の位置(建設のため調査)
    信長の稲葉山城攻略時の火災により変色した多量の陶磁器や意図的に埋めた打刀が見つかっています。
    他にも、石垣や階段、井戸などが確認されました。石組井戸は一部を現地に復元されています。

その結果、織田信長公居館は岐阜公園の広範囲に及んでいること、その下層には斎藤氏の館も存在したことがわかりました。
考えられる信長公居館の構造案としては、槻谷(けやきだに)と呼ばれる谷の奥に中心施設が存在し、その周辺の複数の平坦地に建物群が立ち並んでいたと考えられます。

現在、
平成19年(2007年)より、4次調査として、 信長公居館の全体像を確認するために、新たに発掘調査を行っています。

このサイトでは、平成21年度以降に行った、発掘調査について、岐阜市教育委員会社会教育課の調査結果資料と、岐阜女子大学 文化創造学部が記録した、パノラマ画像をご覧いただけます。

  発掘調査結果 コンテンツ

A地区   槻谷(けやきだに)の北側にある平坦地で、石垣や州浜などの池泉遺構が見つかっています。
B地区   館の最奥に位置し、特殊な建物の基礎や、庭園遺構が見つかっています。
C地区   館の中心建物があったと考えられる場所です。下段からC地区へと上がる通路や、巨石列、石敷き遺構(枯山水庭園?)などが見つかっています。
D地区   石垣や地面が確認されましたが、調査面積が少なく、詳細は不明です。

  岐阜公園 コンテンツ

D地区   岐阜公園には、いろいろな場所に信長公居館の痕跡が存在しています。岐阜公園の様子や、平成21年度以前に行われてきた、発掘調査の成果をご覧いただけます。
織田信長公居館跡発掘調査岐阜女子大学文化創造学部文化創造学科アーカイブ専修
Copyright c 2010 Gifu Women's University. All rights reserved