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B地区デジタルアーカイブ
B地区平面略測図 B地区全景 ロープウェーから
B地区平面略測図 B地区全景 ロープウェーから
 B地区は槻谷(けやきだに)の一番奥にあります。居館跡の一番奥に位置するB地区には重要な施設があったことが考えられます。
 B地区は、下からBⅠ・BⅡ・BⅢ区の3つの地区にわけられます。この地区で見つかった遺構は、出土した陶磁器などから、織田信長が入城した1567年(永禄10)から岐阜城が廃城となる1600年(慶長5)までの時期と考えられます。
 平成19年度から発掘調査を開始しましたが、石垣、石組み排水溝、園池遺構、礎石、巨石石組みなどが見つかりました。
H21年度
     
BⅠ区 BⅡ区1BⅡ区2 BⅢ区
BⅠ区全景BⅡ区全景BⅢ区全景
BⅠ区はB区内の西にある一番低い平坦地です。標高は39~42mです。南側と東側に石垣が見つかりました。 BⅡ区はB区の中央にある平坦地です。ここにはポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが書き記した「茶の座敷」があった可能性があります。 BⅢ区は槻谷の東最奥にあります。北側に谷川が流れ、南側には岩盤がそびえ立ちます。ここからは戦国時代の園池遺構が見つかりました。
BⅠ区を見る BⅡ区1を見る

BⅡ区2を見る
BⅢ区を見る
H22年度
平成21年度に見つかった、BⅠ区の礎石が検出された箇所や大量の焼けた焦土が出土した箇所周辺、BⅢ区の庭園遺構の周辺の調査を行い、全容解明を目指しました。
H22年度B地区平面略測図 H22年度の発掘調査成果を見る
織田信長公居館跡発掘調査岐阜女子大学文化創造学部文化創造学科アーカイブ専修
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