Q&A:カシミール紛争          

 
 

第1問 なぜ、カシミール地域が問題なのですか?

 
 
 植民地であったインド帝国(イギリス国王が支配)は、現在のインド、パキスタン、スリランカ、ネパール、バングラデ シュ(パキスタンか ら1972年に独 立)に解体して植民地支配を終えました。そして、インドとパキスタンは、1947年8月分離独立しました。
 このインドとパキスタンの分離独立の時、インドは世俗国家を標榜しながらもヒンドゥー教徒を主体とする国、パキスタン はイスラーム教徒 を主体とする国と なりました。
しかし、独立達成の前に、すでにカシミール地域は、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の熱い論争の原因となっていました。
独立前のカシミール地域は、イギリスの支配下のもとで藩王が統治を行う藩王国であり、その藩王はヒンドゥー教徒、住民の 多くはイスラーム 教徒でした。
そして、イギリスが示した分離独立計画案のカシミール地域は、インドあるいはパキスタンのどちらかに属するこるとが認め られました。
これに対して藩王は、独立を望みました。しかし、それは達成できず、結局はインドへの帰属について同意することに決めま した。これは 、藩王が要求する1)インド軍の援助、2)住民投票の実施、について、インド政府が認めたからとされています。
しかし、カシミール地域の住民たちの多くは、イスラーム教国であるパキスタンへの帰属を望み続けたことが最大の紛争原因 となっているので す。
 
 

第2問 これまでのカシミール紛 争は?

 
  カシミール地域は、その帰属をめぐりインドとパキスタンの間で の最大の争点とな りました。そして、3回のインド-パキスタン戦争のうち、2回の戦争の原因となったのです。
第一次戦争は、1947-8年。
第二次戦争は、1965年。
バングラデシュの独立をめぐる問題を原因とする第三次戦争は、1971年に発生しました。
つい最近では、1999年に山岳高度地帯のカルギリ(Kargil)地域では、両国軍隊が直接衝突しました。
 
 

第3問 インドとパキスタンの要 求は何ですか?

 
  インド側が支配する地域では、帰属が決定された時に約束された 住民投票が行われ ていません。また、国際社会による仲介や国連での話し合いをインドは一切拒否しています。
 このようなインドの姿勢に対して、過去10年間に反発したイスラーム教徒の軍事グループによるテロ事件が頻発しまし た。そして、毎日の ように多くの住民 が傷つき、生命が奪われ続けていました。
 インドは、これら軍事グループの過激な活動について、パキスタンが軍事的な支援を行っていると非難しました。そして、 パキスタンに対し てこれらのグルー プに対する厳しい取り締まりを要求し続けたのです。
 これに対してパキスタンは、精神的な支援はしているが、軍事的な支援はしていないとし、カシミール地域住民による投 票、国連など国際社 会の仲介にインド が応じるようにを求めてきました。
 
 

第4問 平和な時はなかったのでしょうか?

 
   カシミール地域は、インドとパキスタンの間で発生する多くの 「政治的な緊張」 の舞台となり、インドとパキスタン紛争の主な原因となってきました。 
新しい問題ではないと言えるでしょう。
 では今回どうして、急激に緊張が高まったのかと疑問になります。
 問題は昨年来、インドはパキスタンに対して、カシミール地域の軍事グループへの支援をやめ、取り締まりを行うように要 求し、その態度が 強硬になってきた ことにあります。
 数年前は、インドとパキスタンの両国首脳が会談し、友好的な話し合いも行われました。カシミールは、インド国内だけで なく海外からの観 光客も多く、風光 明媚な観光地として栄えたのですが、再び紛争地となったのです。
 そうしたインドとパキスタン両国の厳しい対立を示したのが、昨年6月のインドのアグラでの首脳会談でした。両首脳の話 し合いは決裂して しまったのです。
 
 

第5問 インド側の事情は?

 
    対立激化の背景には、現在のバジパイ政権が多数政党の連立内閣であるとは言え、その中核はヒンドゥー主義の政党によることが大きく影響し ています。また、 インド国民のバジパイ政権への支持率は低迷し、州議会選挙での敗北が続いたことも大きな要因でしょう。つまり、離反した国民の支持を再度 まとめるために も、他国(つまりパキスタン)へ厳しい態度で臨み、軍事的な緊張の高まりにより国民の支持も獲得しようという考えがあるのです。  
 

第6問 パキスタン側の事情は?

 
    パキスタンは、昨年9月のアメリカで発生した同時多発テロ以来、テロへの戦いに参加することとなりました。国内にはイスラーム教原理主義 による運動に対し て、共感する人々も多かったのですが、ムシャラフ最高司令官(昨年6月からは大統領)は、アメリカと反テロの同盟を結ぶことを決めたので す。
 これに対して、インドはカシミール地域の軍事グループの取り締まり要求を強めることとなりました。つまり、インドは 「アフガニスタンの テロ集団取り締ま りに協力するならば、カシミール地域の軍事グループも取り締まれ」と要求を続けたのです。
 昨年12月、カシミール地域の軍事グループは、インド国会議事堂を武装して襲撃しました。また、この1月にはインドに あるアメリカ施設 への襲撃が行われ ています。さらに、カシミール地域では、実に多くのテロ攻撃が行われ、その件数は膨大な数に上り、連日の攻撃が報道されるようになってき ました。
そして、先月に入り軍事グループはインド軍の陣地を襲撃し、軍人の家族を中心に30人以上の人々を殺しました。
 
 

 第7問 本当に「核」戦争の危 険は あるか?

 
   最近になりインドの態度は、一段と強硬になりました。政治家からは「戦争体勢」とか、「我慢にも限界がある」との発言が続き、現実に軍 の大部隊をカシ ミール地域への移動も行われました。
 そして、主要な穏健なカシミール地域の政治家(Abdul Ghani Lone)が暗殺されたことにより、地域でさらに不安定性に対する懸念を増やしたのです。
 先月から急に激化した インドとパキスタンの対立に対して、国際的な関心は活発になっています。 
しかしながら、 インド側の軍隊の移動に対して、パキスタン軍もアフガニスタン国境地域からカシミール地域へ大規模な部 隊の移動を行いま した。
現実には、連日のように国境線をはさんで両軍による砲撃戦が行われています。
こうした小さな衝突の連続が、大火の引き金となるという恐れが世界を最も心配させているのです。なぜなら、インドとパキ スタン両国は、す でに核兵器の配備 を行い、本格的な軍事衝突となれば、核戦争へ拡大する危険性が非常に高いのです。
そこで 戦争を制止のための仲介工作、あるいは 抑制の依頼が米国、EU、日本その他から行われます。ところが、イギリ ス、アメリカ、日 本などは、緊張の 高まりをみて、自国民のインドからの退去をもとめる事態に発展しています。<pキスタンからの退去はすでに昨年10月以来継続していま す。
いよいよ、本格的な緊張と対立のなかで、アメリカを中心とする仲介が行われることとなり、国防長官らの訪問が決定してい ます。
インドとパキスタンが核戦争となれば数千万の人々が死傷し、地球環境も大きく破壊されることになります。 
 そうした悲劇的な結末とならないよう、両国政府だけでなく両国民の自制を強く求め続ける必要があるでしょう。
 
 
 



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