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信長公居館発掘調査
     
 
 永禄10年(1567)に美濃の国を攻略した織田信長は、山頂に岐阜城、山麓に屋敷(織田信長公居館跡)を建設しました。信長はここを本拠地として天下統一を目指しました。岐阜を訪れたポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは、山麓の屋敷を「宮殿」と称し、4階建ての壮麗な建物の様子を紹介しています。
岐阜市教育委員会社会教育課では、居館の解明のための調査を行っています。
その結果、織田信長公居館は岐阜公園の広範囲に及んでいること、その下層には斎藤氏の館も存在したことがわかりました。現在考えられる信長公居館の構造案としては、槻谷(けやきだに)と呼ばれる谷の奥に中心施設が存在し、その周辺の複数の平坦地に建物群が立ち並んでいたと考えられます。
 
     
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織田信長公居館跡発掘調査岐阜女子大学文化創造学部文化創造学科アーカイブ専修
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