詩情豊かな古典絵巻
岐阜の夏の風物詩「鵜飼」は、飼い慣らした鵜に河川や湖沼で鮎などの小魚を捕らえさせる伝統漁法。今でも岐阜市と関市の2か所で行われており、とくにこの長良川の鵜飼は1人の鵜匠が12羽の鵜を舟の中から操るという、技法的にもっとも完成されたものとされている。
日が落ちて夕闇が迫るころ、船頭に導かれた鵜舟が、川面にかがり火を映しながら現れる。舳先に立つのは風折鳥帽子をかぶり、紺(黒)の木綿の単衣、腰蓑姿の鵜匠だ。彼らは12本の手縄を持ち、鮮やかな手さばきで鵜を操る。とも乗り、中乗りと呼ばれる2人の船頭が舟を動かし、舟べりをたたく。鵜匠は「ほうほう」と声をかけながら鵜を漁へと駆り立て、はけ篭に魚を吐かせる。人と鵜が一体となった詩情あふれるシーンは、見る者を幽玄の世界へと誘う。なかでも一番の見ものはクライマックスの「総がらみ」。6隻の鵜舟が横一列に並び、観覧船を取り巻きながら一斉に下る、豪壮華麗な一大水上ページェントだ。
千年を超える伝統のわざ
長良川鵜飼の歴史は古い。既に大宝2年の各務郡中里戸籍に「鵜飼部」の名が見え、延喜年間(901〜923)には長良川沿いに鵜飼7郷があり、1郷に1戸ずつ鵜飼漁師が住んでいたといわれている。彼らに「鵜匠」という地位が与えられ、河川の保護が始まったのは織田信長の時代。徳川家康の治世になると鮎鮨が江戸城に献上され、江戸時代を通じて尾張藩が鵜匠を保護し、様々な権限を与えてきた。
明治23年からは宮内省の管轄下に置かれて鵜飼は芸術の域にまで高められ、昭和2年からは市へ移管。現在は観光事業として、毎年5月11日から10月15日まで中秋の名月の夜を除く毎夜繰り広げられている。
(「旅の森 ひだ・みの日本歴史街道」 鰹コ文社 発行1997年11月1日
より抜粋 無断転送禁止)
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