リスト音楽院
重厚な建物の中で、すばらしい音楽を作り出しているリスト音楽院では、その内部の撮影はもとより、世界的ヴァイオリニストのキッシュ先生のレッスン風景も取材させていただきました。すでに日本から70名以上の留学生がリスト音楽院で学んでいますが、いずれも、すばらしい成果をあげて、世界に通用する音楽家たちが育っています。一昨年岐阜・リスト音楽院マスターコースを終了し、留学している北山さんのお話を伺いました。
リスト音楽院とその内部の壁面を飾る「芸術の春」、クールシュフーイ・クリーシュ・アラダール作(1907年)。リスト音楽院の生徒たちは、美しいクラシック音楽を奏で、それに劣らぬ美しい絵画・彫刻に囲まれ、しかも世界一美しい街に住んでいます。

 

リスト音楽院のことならなんでも知っている教務担当のフランチェスカさん。ハンガリー民謡を自ら歌いながら、リスト音楽院の歴史について解説してくれました。フランチェスカさんの話を熱心に聞く、9月から留学予定の人たちとその関係者。

 

高級レストラン「バドロージャ」での会食会。右からリスト音楽院学長夫人、リスト音楽院学長ファルヴァイ先生(ピアノ)、リスト音楽院教授キッシュ先生(ヴァイオリン)。ファルヴァイ先生ご一家は、そろってピアニストです。奥様はもちろんリスト音楽院の先生ですし、上のお嬢様はもうすぐ、「ディプロマ」を取得予定、下のお嬢様は16歳で英才コースに入っていらっしゃいます。リスト音楽院には8歳から18歳までの英才コースがあり、特別優れた音楽の才能を持った神童たちが、ここで学んでいます。


 

右の女性はキッシュ夫人。左の男性はリスト音楽院教授オンツアイ先生(チェロ)。このレストランでは、食事をしながら、ピアノの生演奏が聞けます。もっとも、この日の演奏者は、「もう少し勉強しなくちゃね」とファルヴァイ夫人に言われていましたが。


キッシュ先生の個人レッスンを受ける北山まり子さん。一レッスンは30分くらい。教える側の型にはめるのではなく、生徒の特質を生かし、長所を伸ばしてゆく教え方には定評がある。その穏やかな教授法には、キッシュ先生の人柄がにじみ出ている。北山さんは1998年岐阜・リスト音楽院マスターコースを受講し、留学が認められた。現在2年目。9月から5年間の正規留学生となる予定。北山さんの入るコースは、卒業論文をハンガリー語で書かなければならないもっとも厳しいコースで、修了生には「デイプロマ」という修士号が与えられる。リスト音楽院の「デイプロマ」を持っていれば、世界中どこへ行っても通用する。左の青い服の女性は、キッシュ先生専属のピアノ伴奏の先生。

リスト記念館
 旧王立音楽院。晩年のリストがすごした住居がここにあった。「リスト・フェレンツ 在宅面会時間 火・木・土、3時から4時」
と書かれたプレート。リストの住居にあったピアノ。

 

リスト像
リスト音楽院の近くにあるリスト像。オーストリア国境に近いショプロン市近郊のライディングに生まれたリストは、早熟の天才ピアニストであり、ウイーンを経て渡仏、22歳で「パリの寵児」とよばれるまでになった。その後紆余曲折を経て、1872年、活動拠点のひとつをブダペストに定め、王立音楽院の初代総長に就任、祖国の音楽の発展に力を注いだ。

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