街並みと歴史的建造物
今回私たちは、岐阜とゆかりの深いハンガリーの首都ブダペストを取材してきました。ドナウ川をはさんでブダと呼ばれる丘と、ペストと呼ばれる平地に広がるブダペストは、その美しい景観がユネスコの世界遺産にも指定されています。私たち取材班は、ブダの丘に立つマーチャーシュ教会、漁夫の砦、ゲッレールトの丘、ゲッレールト温泉、王宮、ペスト平原にある聖イシュトバーン大聖堂、オペラ座、国会議事堂、中央市場、ヨーロッパ大陸最初の地下鉄などといった歴史的建造物はもとより、両者をつなぐ鎖橋、自由橋、そして、1956年のハンガリー革命に関係したナジ・イムレ像、今も弾丸の跡が残る農業省の壁、ハンガリー革命アーカイブを作成しているオフィス、伝統的な刺繍を現代のファッションに取り入れたシューディ・エリカさんのアトリエ、世界的に有名な映画監督で現国会議員のコーシャ・フェレンツさんなどをデジタル・ハイビジョン・カメラなどで撮影してきました。以下はその一部です.

ブダ側
景観
1849年に開通した鎖橋は新古典主義様式で建設されました。この橋のたもと(ゼロ地点)からシクローと呼ばれるケーブルカー(1860年から運行している)に乗って丘に登ると王宮のテラスにつきます。下の写真はゲッレールトの丘からの景観。ドナウをはさんで左にブダの丘、右にペスト平原が広がります。手前の橋は鎖橋。ここからの眺めはユネスコ世界遺産に指定されています。



 

夜景
ゲッレールトの丘から見たブダペストの夜景。鎖橋がライトアップされている。
下は同じくライトアップされた王宮。


王宮の丘
王宮の丘にはマーチャーシュ教会、漁夫の砦、そして初代ハンガリー国王聖イシュトヴァーンの騎馬像が立ち並びます。
マーチャーシュ教会:13世紀、ベーラ4世が教会建設に着手、15世紀マーチャーシュ王により完成。歴代王の戴冠式が行われた。
漁夫の砦:名前の由来は、昔ここに魚市場があったからだという説と、かつてこの場所を漁夫が防衛していたからだという説がある。

 

ペスト側
聖イシュトヴァーン大聖堂:ネオ・ルネサンス様式、幅55m、奥行き86m、高さ96mを誇る。1851年、ヒルド・ヨージェフにより着手され、1905年に完成した。とその内部。イシュトヴァーン像とドームの天井。

   

オペラ座
オペラ座:1875年から1884年にかけて建造された。建物正面にはハンガリー国歌の作曲家エルケル・フェレンツと大音楽家リストの像が迎える。内部の装飾はハンガリーの画家ロッツ、フェスティによる。一般の人が使う大階段と、国王の階段。

  

地下鉄
ヨーロッパ大陸で最初にできた地下鉄。その入り口と、オペラ座駅の駅名を書いたタイル。

 

ヴァイダフニャド城付近
ヴァイダフニャド城にあるゴシック様式の聖堂。ヴァイダフニャド城はもともとトランシルバニア地方にある城で、吸血鬼ドラキュラの住処として有名。建国千年記念に復元して立てられたものが、ブダペストにある。周辺には英雄広場、動物園、市民の憩いの場セーチェニー温泉、英国のエリザベス女王もいらっしゃった有名なレストラン「グンデル」がある。

 

国会議事堂
国会議事堂(ドナウ側)。ネオ・ゴシック様式で建てられた(1884−1904)ハンガリー最大の建造物。内部は豪華な金張り。広場側左の騎馬像はラコーツィ・フェレンツ2世(1676−1738)。ハプスブルグ帝国に対する独立戦争(1703−11)の指導者。残念ながら独立はならず。ハンガリーは1526年にモハーチの戦いでオスマン・トルコに大敗して以来、負け戦の歴史をたどりつづけた。右手を上げ、議事堂を指差しているのはコシュト・ラヨス、1848−49年にかけて起こったハプスブルグ帝国に対する独立戦争の指導者の一人。革命後亡命先のイタリアはトリノで死去。19世紀のハンガリー近代化に大きな影響を与えた。

  

ネオゴシック様式で立てられた(1884−1904)、ハンガリー最大の建築物、国会議事堂の内部。豪華な金張り。議事堂の前を走る、トロリーバスと議事堂を見るナジ・イムレ像。ナジ・イムレは1956年におきたハンガリー革命(動乱)の指導者、首相。民主化を求める民衆の戦いは、ソヴィエトに鎮圧され、ナジ・イムレは1958年に処刑された。

  

中央市場
中央市場とその内部。屋根にはジョルナイの瓦が使われている。一階は肉屋、八百屋、パン屋など食料品店が軒を並べる。地下は魚屋が多い。二階には服飾・雑貨・カフェテラスなどがある。

 

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